東京卒業。月になるな。太陽になれ

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突然の私事で恐縮ですが、このたび東京を離れることになりました。

本日のブログでは、約20年暮らした東京を離れるにあたり、ざっくりと感じたコトや思ったコトを書き留めておきたいと思います。

題して
東京卒業。月になるな。太陽になれ

4月から新生活が始まった方、そして去年とまったく同じ環境で暮らしている方、それぞれの心にちょっとでも何かを届けられたら良いなと思います。

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20年で世の中がもの凄く変わった

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私が東京で暮らし始めた20年前は、バブルこそはじけてはいたものの、まだ街全体にふんわりとバブル経済の残り香のようなものが漂っていた気がします。

新卒で正社員として就職した私も、「新入社員研修」と「社員旅行」でそれぞれ海外に行くことが出来ました(この「新入社員研修」が私の初海外でした。懐かしい・・・)。

当時はスマートフォンが無いのはもちろんですが、ガラケーもまだ世に出始めたばかりで、まだポケベルが現役でバリバリ活用されていたように記憶しています。

その後「リーマンショック」「スマホの普及」「Amazon」「YouTube」「電子書籍」「訪日外国人(主にアジア人)の増加」等など、20年の間に実に様々な出来事があり、街の様子や雰囲気もずいぶん変わりました。
「東日本大震災」も、日本人の価値観に大きな影響を与えたのは間違いありません。

「いままでの20年で世の中がもの凄く変わった」
という認識があれば
「これからの20年でも世の中はもの凄く変わるだろう」
と考えるのはごく自然なことです。

私個人としては
「日本のグローバル化(世界のフラット化)が進むのでは?」
という予測のもと
・時差を簡単に計算出来るアプリをリリース
・出来る範囲で英会話の勉強をする

という感じでこれからの20年に備えています。

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iTunesでチェックする→「世界時差時計」(無料)


この予測が当たっているか、そして準備が適切かどうかは分かりませんが、とにかくこれからの20年で日本がどんな風に変わっていくのか、見るのが楽しみです。

もし元気で健康でいられたら、20年後、このブログエントリーを読み返したいと思います。

同じ場所にずっといる「絶望感」

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私は東北の小さな田舎町出身なので、就職で東京への引っ越しが決まった時はとても興奮しました。

東京で暮らし始めてからも、見るもの聞くもの全てが目新しく新鮮で、休みの日は電車に乗って東京のあちこちを見物しに行きました。

でもそういうのって、長続きしないんですよね。

で、なんとな〜くモヤモヤしている時に出会ったのがコチラの言葉。

いつまでもロンドンで暮らしても生活が変わらないのかと思うと、軽い絶望というか。

もし帰国したら?本帰国をシミュレーションしてみる。 | FLAT 23
いつまでもロンドンで暮らしても生活が変わらないのかと思うと、軽い絶望というか。 …

ブログ著者のAyakaさんはロンドン在住、私は東京在住でずいぶん環境は違うのですが
「軽い絶望」
という言葉を見た時、自分の東京での毎日を言い当てられたような気がしてドキッとしました。

「軽い絶望」。
まさしくそんな感じ。

思うに、人間には「良い方向に変化したい(向上したい)」という本能があって、でも、同じ環境にずっと留まりすぎるとその本能を満たしづらくなるんだと思います(もちろんこの性質は、「環境を変えただけで自分が向上したと感じる」錯覚と裏表なワケですが)。

以上の経験を踏まえると、自分自身を満足させるのに重要なのは
「良い方向に変化する(向上する)」
というコトであって、どこに住むかはあまり重要では無い
のだなと思います。

世界に名だたる超ビッグシティ東京に住んでも絶望するのなら、ニューヨークに住んでも、ロンドンに住んでも、そして高知に住んでも、おそらく最終的には絶望するのでしょう。

フォーカスすべきなのは住んでいる物理的な場所ではなく、自分自身のコア、つまり意志と思考なのだということに、恥ずかしながらこの歳(アラフォー)になってようやく気が付きました。

地球上のどこに住んでいようと、世界の真ん中は私自身なのだというコトを最近よく考えています。

月になるな。太陽になれ

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東京に出てくる前、私は心のどこかで
「光り輝く東京に住めば、私も光り輝く人間になれる」
と思っていました。

可笑しいですか?
可笑しいですよね(笑)

東北の小さな街で育った私は、東京のような大きな街に住めば、たとえ欠片のような大きさであっても、なにか東京のおこぼれのようなモノが自動的に手に入ると思っていたのです。
そして、東京というのは世界規模で見てもとびきり大きな街ですから、たとえ欠片といっても自分にとっては十分すぎるほどの大きさで、きっと故郷の小さな街で暮らし続ける友人達は一生かかっても手にできない何かが手に入ると勝手に思っていました。

可笑しいですか?
ますます可笑しいですよね(笑)

そういう「東京の何かおこぼれにあずかる」という考えは、太陽に反射して光る月のようです。
見る角度によっては明るいかもしれませんが、違う角度から見ると真っ暗です。無です。

東京を離れるにあたり(そしてそろそろ人生の折り返し地点を迎えるにあたり)、これからは月ではなくて太陽のような生き方をしなくてはいけないな〜と考えています。

眩しい場所にいるから輝くのではなく、たとえ小さく地味でもいいから自分自身で発光する生き方とでも申しましょうか。

月になるな。太陽になれ。

自戒の念を込めて。

まとめ

以上
東京卒業。月になるな。太陽になれ
でした。

さて、肝心の引っ越し先についてはまた日を改めて別エントリでご報告したいと思います。

ありがとう、東京。さようなら、東京。
そしてGood Luck☆

ダンボールニMacBookヲ置イテブログヲ書イテイル。背中ガ痛イw

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