先日読んだ
『自閉症児の困り感に寄り添う支援』
(佐藤 曉 著)
という本がとても面白かったので紹介したいと思います。
この本自体のテーマはタイトルにあるとおり「自閉症児」へのケアなのですが、認知症介護にも役立つ部分がたくさんありました。
認知症介護のなにかヒントになれば幸いです。
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そもそも私がこの本を読んだのは、自閉症のお子さんをもつ一人の女性と知り合ったのがきっかけでした。
それまで自閉症という言葉は知っていましたが、実際にはどういった状態を指すのかほとんど知識がなく
「このままでは相手に対して何か不適切な言動をとってしまうかもしれない」
と思い、図書館でたまたま目についたこの本を手にとった次第です。
その行動が、結果として自分の親の認知症介護に対する新しい扉を開いてくれたわけで、縁というものの不思議さを改めて感じずにはいられません。
『自閉症児の困り感に寄り添う支援』の中で特にハッとさせられたのが「意味の島」という考え方です。
ここでいう「意味」について、筆者は以下のように説明しています。
いすには腰掛けるという「意味」があり、カップには飲み物を注ぐという「意味」がある。わたしたちがそれを知っているのは、ごく幼いころから、周りの人たちがいすやカップに対してとるふるまいを見て、知らず知らずのうちにそのふるまいを習得してきたからである。
物だけではない。日々の習慣やでき事にもすべて独自の意味がある。順番を待つこと、掃除をすること、そして祭りに行くことなど、それぞれのことがらに見合ったふるまいをわたしたちはしている。どれもこれも、大人から敷き写されることによって、わたしたちはその「意味」を学んできたのである。
(『自閉症児の困り感に寄り添う支援』33ページより)
(「敷き写し」とは、大人から子供へものごとの「意味」が伝わっていくこと)
確かに、私達はふだん無意識のうちにとてもたくさんの「意味」に取り囲まれて生活していますね。
その上で、定型発達の子どもの生活世界は本書の中で以下のような図で表現されています。
(『自閉症児の困り感に寄り添う支援』37ページより)
「家庭生活諸島」、「学校生活諸島」、「塾の島」、「おけいこ事の島」・・・。
一人の子供が生活している場(海)には、たくさんの「意味の島」が浮かんでいます。
一方、自閉症の子どもの生活世界を図にするとこんな感じだそうです。
(『自閉症児の困り感に寄り添う支援』39ページより)
自閉症の子どもたちが乗ることのできる「意味の島」は、定型発達の子どもと比べるととても少ないのが分かります。
この状態について、本書ではこんなふうに綴られています。
自閉症の子どもは敷き写しがうまくいかない分、乗ることのできる「意味の島」が、きわめて限られている。むろん、海に落ちたら、そこは、意味を失った混とんとした世界である。そうなると、数少ない「意味の島」にしがみついているしかなくなる。本人にしてみれば、それはとてもつらい状況なのだ。
ところが、わたしたちは、窮地に追い込まれたこの子たちを、外から眺めてこう言う。自閉症の子どもには「こだわりがある」と。そんな冷たい言い方はないだろう。
(『自閉症児の困り感に寄り添う支援』39ページより)
『そんな冷たい言い方はないだろう』
という筆者の言葉に、私自身が冷たい言い方をしたことはないだろうかと思わず我が身を振り返りました。
自閉症というものが「意味の島」を形成するのが難しい状態だとしたら、認知症というのは今まであった「意味の島」が少しずつ消えていく状態と言えるのではないでしょうか。
仕事という「意味の島」、ご近所付き合いという「意味の島」、入浴という「意味の島」、食事という「意味の島」、排泄という「意味の島」等など・・・。
認知症である実家の父のことを考えてみても、父がのれる「意味の島」はだんだんと少なくなっているようです。
家族としては、親が今まで出来ていたことがだんだんと出来なくなっていくのを見るのはつらいものです。そんな状況で、なかにはつらさや不安が苛立ちになり、認知症の親についキツい言葉を投げかけてしまう人もいるかもしれません。
ですが、「出来ない」ということを「意味の島から落ちてしまった」、「意味の島が消えてしまった」と捉えると、今までと少し違った見方ができると思いませんか?
幸いなことに、我が家の場合は少なくなったとは言っても父にのれる「意味の島」はまだたくさん残されています。
そして、たとえ父の世界から娘という「意味の島」が消えてしまったとしても、私が父の娘であるということに変わりはありません。
ケアマネさんやヘルパーさん、そしてその他たくさんの人の力を借りながら、父の生活世界を少しでも平和で穏やかなものに保っていきたいと思います。
以上
認知症の父がのれる「意味の島」-『自閉症児の困り感に寄り添う支援』を読んで
でした。
私は発達障害の専門家でもなんでもないただの「認知症患者の家族」なので、もしかしたら
「自閉症と認知症を一緒にするな!」
というお叱りを受けるかもしれませんが、それでも『自閉症児の困り感に寄り添う支援』には大いに励まされ、そしてたくさんのヒントをもらいました。
同じように、このブログ記事が他の認知症介護者の方のなにかの力になればこの上ない幸せです。
形ハ違ッテモ、「生きづらさ」ッテ共通シタ部分ガアルノカモシレナイネ!