先日、ちょっと思いついたコトをシェアします。
題して
「100のありがとう×1人」と「1のありがとう×100人」
人間って、「100のありがとう×1人」を求めるタイプと、「1のありがとう×100人」を求めるタイプの2種類あるかも???と思った話です。
「自分はどっちだろう?」
と考えながら読んでいただけたら嬉しいです(^^)
スポンサーリンク
「ありがとう」って言っていますか?
「ありがとう」って言われていますか?
「ありがとう」って、爽やかで温かみのある、素敵な言葉ですよね。
でも私が思うに、一人の人間が一生に提供できる「ありがとう」には上限がある気がします。
(言うのも、言われるのも、ひっくるめて)
もちろん人によって「ありがとう」の総容量は異なるし、どんどん上積みしていくことも可能だと思うのですが、少なくとも無限ではない。
「背負い水」ならぬ「背負いありがとう」という感じでしょうか(笑)
世界中の人に「ありがとう」と言うコトは不可能ですし、世界中の人から「ありがとう」と言われるコトはもっともっと不可能です。
一生の間に提供出来る「ありがとう」が有限であるとするならば、「ありがとう」の取捨選択をする必要が出てきます。
そこで出てくるのが「100のありがとう×1人」と「1のありがとう×100人」という話。
人間には
◆ごく少ない人数と濃密な「ありがとうの交換」をすることに満足を感じるタイプ
◆たくさんの人と薄く広く「ありがとうの交換」をすることに満足を感じるタイプ
の2種類がいるのでは???と思いました。
「100のありがとう×100人」が出来れば最高なのですが、残念ながら私達のリュックサックには100のありがとうしか入っていません。
想像するに濃密な「ありがとうの交換」を求める「100のありがとう×1人」のタイプの人は、きっとマメですよね。
自分の身の回りにいる人を幸せにするために、一生懸命頑張る人だと思います。
お友達のお誕生日に「おめでとう!」メッセージを送ったり、年賀状をキチンと書いたり・・・。
でももしかしたら、自分の誕生日に「おめでとう!」メッセージが届かなかったり、年賀状の返事が来なかったりすると、ちょっと落ち込んでしまうかもしれません。
一方、薄く広く「ありがとうの交換」をする傾向のある人は、もしかしたら少し冷たい人と思われているかもしれません。
自分の目の前の人ももちろん大切だけれど、そうでない人も同じくらい大切というか・・・。
先に出した例でいくと、お誕生日の「おめでとう!」メッセージや年賀状はニコニコ受け取るけれど、自分からは出さないみたいな?(笑)
「ヒドイ人!」と思われるかもしれませんが、当の本人からすると「ええぇー?だって、送りたいから送ってくれたんじゃないの???」という感じ。
・・・え?私???
私は「1のありがとう×100人」タイプですネ(^◇^;)ゞドーモスミマセン
人間関係の悩みの何パーセントかは、この「100のありがとう×1人」タイプと「1のありがとう×100人」タイプの感覚の相違から発生するような気がします。
逆に言うと、自分の「ありがとう」のリソース(資源)配分の割合をちょっと変えてみると、もしかしたら人間関係の悩みが少し解決するかもしれません。
「100のありがとう×1人」タイプの人は、自分にとって一見関係の無いような人と「ありがとうの交換」をしてみませんか?
レジの店員さん、ホームの駅員さん、街でティッシュを配っている人とか。
「1のありがとう×100人」タイプの人は、自分にとって身近な人ともっと積極的に「ありがとうの交換」をしてみませんか?
家族、友達、職場の同僚とか。
『心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。』
(出典:ヒンズー教?ウイリアム・ジェームズ?)
という有名な言葉がありますが、この冒頭の
『心が変われば』
を
『「ありがとう」のリソース配分を変えれば』
にするイメージですネ。
もしかしたら、運命が変わっちゃうかも!?
以上、「100のありがとう×1人」と「1のありがとう×100人」と題して好き勝手述べてみました。
典型的な(?)「1のありがとう×100人」タイプである私の
「私って薄情な人間なんじゃなかろうか・・・(´・ω・`)
いや、でも薄く広くありがとうはバラまいているゾ(`・ω・´)ノバッ.”;.*:
100×1でも、1×100でも、答えは同じ100じゃーいщ(≧▽≦)щ!!」
という自己愛&自己弁護から生まれた記事です(笑)
(当の本人は「ありがとう」のリソース配分を変える気があまりないw)
でも、そんなに的外れな指摘でも無いんじゃないの〜?と思う土曜日の午後。
皆さんはどう思いましたか???
もし良かったら、Twitter(@100nasu)で感想を聞かせてくださ〜い☆